こころもよう no.6  2011.02月


 あわい 

 2月、全国的な寒波であまり積雪のない小諸でも一面の銀世界が広がりました。林の唐松の枝にふわっと雪が積もった華奢な樹氷の姿が美しく、目を楽しませてくれます。庭の木々にも雪が積もって綿あめの様です。陽が射してくると、屋根や木々から「垂(しず)り雪」の音が聞こえます。「雪垂(しず)り」ともいうようです。気温が上がってくると、緩んでどさっと雪が落ちることをいいます。「雪が落ちる」と言えばそれで済むのですが、日本語の奥ゆかしい美しさを感じます。


 自然に恵まれ、四季の豊かな日本ならではの美しい言葉がたくさんあります。ことば=ことのは。言い換えただけで、魅力が伝わります。 「あわい」ということば。漢字をあてると「間」と「淡い」の2つがあるようです。「淡い」のほうは字のまま、薄いとか、かすかという意味で日常でよく色や物事の濃さを示す言葉として使われています。「間」は、物と物のあいだ、事と事のあいだ、人と人のあいだなどの間隔や関係を表すようです。




  昨年6月、97歳で個展を開催した美術家篠田桃紅さん。書や水墨による抽象画を発表し続けていらっしゃいます。
私が初めて篠田さんの展覧会を観たのは、2003年春の原美術館でした。偶さか篠田さんのギャラリートークがあり、初めてお目にかかりました。桃山時代の様に帯を腰巻にした着こなしが粋で、作品や文章から受けていたイメージ通り、凛として清々しい方でした。篠田さんの雅号「桃紅」は、李白の詩からきているそうですが、展覧会のテーマは「朱よ」。その時の朱の色が強く心に焼きついています。

 
 
 絵の中のかたちどうしやかたちの間から、いろいろな言葉が交わされていて、それはその作品を観るひとの心によって様々に受け取られていくというようなことをおっしゃっています。韓国の余白の美術家といわれる李禹煥氏の言う「余白とは、行為と物と空間が響き渡る場」に通じるのかもしれません。(2005年 横浜美術館 「李禹煥 余白の芸術」→click
 
← 横浜美術館HPより

 その展覧会で求めた「桃紅えほん」(2002年 世界文化社)には、作品に交じって、篠田さんの文章が書かれています。 その中から、2つご紹介します。

『ものとものとがふれあう、
その、ふれあいかたにこころがひかれる。
波打ち際、紙のやぶれ、 きれの継ぎ目、たたみに触れる裾、
土と雨、草と露…、
そこには、微、妙の、いっさいが。』


『山中湖は今朝うっすらと凍っていた。氷をのせている水、なかば凍りかけている雪、つめたいものどおしが接しているのに、そのつくっている線は、やさしくやわらかく見える。お互いにお互いの冷たさを侵しあうことのないふれあい、そんな感じである。雪は水に流れようとしないし、水も雪を溶かさない。ただ、そっと触れあっている。ひととひととの間にも、そんなあわいがあるといいと思う。』
                                桃紅えほん より →


 物事やひとがふれあう時、そこに余白が介在すると、未知のものと呼応してゆきます。それが微妙なあわいを保つと、物と人、人と人がつながってゆくのだと思います。そんな関係性が存在する時、人は自由に生きられるのかもしれません。