こころもよう no.8  2011.06月


 庭仕事の愉しみ 

 梅雨を迎え、ひと雨ごとに緑深く、明るい時間も増え、屋外にいることが愉しみな季節となりました。カッコウが鳴くのを待って野菜の苗を植えましたが、何とも幸せなひと時でした。と同時に、東北の農家の方たちを思いました。こんな小さな畑にほんの少しの苗を植えるだけでこんなにうれしいのに、春が来ても苗を植えることの出来ないつらさはいかほどのものかと…


 信州で暮らし始めた頃は、庭はありませんでした。東京と異なり、夜は真っ黒、真冬になると草一本ない状態にまでの枯れ野原となりました。そのころは、厳冬時にはマイナス20度くらいにまで下がりました。現在では、温暖化の影響でマイナス10度くらいとなりましたが… 本当に、悲しいまでに何もない索漠とした風景でした。現在庭になっているところは、もともとは豚舎があり、コンクリートの基礎がかなりしっかりとあった様で、工房を建てるときに壊したのですが、とりあえずはそのまま埋め込んでしまっていたようです。

 翌年の春、まずは、南側の一角に小さな花壇を作ることにしました。シャベルを入れると、ガリッと音がして、それ以上シャベルが進みません。瓦礫が埋まっていたのです。直径4,50cmほどを掘るのに1時間ほどもかかったでしょうか?漬物石位の大きさの石や細かいコンクリートの破片が出てくる、出てくる… おかげでそれらの石で花壇のフレームには事欠きませんでしたが。 そうして、時間を見つけては庭を掘り起こして少しずつ樹木や草花を植え続けました。全体の構想なしにまずは少しずつと進め
て行ったので、あとから、木を移植したりと大変でしたが、10年ほどかけて、現在の庭に落ち着きました。花好きの友人達から分けてもらった草花は、目にするごとに贈ってくれた人々のことを思い出します。
 
 
 信州の春、 梅、杏、桃、桜、林檎と次々と花開く様は、それは見事でわくわくする楽しさがあります。長い長い冬を耐え、ようやく春が来たという感激は、東京にいたころには味わったことのないものでした。

 ひところは時間があれば、庭に出ていたものですが、KUKUを始めてからは、手をかけてあげることが出来ず、夏に展覧会などがあると、庭は生い茂った雑草でジャングル状態となることもあり、本当にごめんなさいという感じです。さあ!やるぞーと決めて、毎日1,2時間、草取りをして、端から端まで「やったぁー!」と思っても、2週間ほどたった庭の最初の所は、もう元通り。 それでも、草をきれいに取り、水を打った後の庭は、本当に心地よく、ほっとできます。ふと見上げた空の美しさ、頬を優しくなでる風…、疲れも吹き飛び、幸せな時が過ぎて行きます。
 
 
 草取りは大変ではありますが、目に見える達成感があります。また、土からはエネルギーをもらえて、気持ちはすっきり!!私の生活には、土は欠かせないなぁと思います。

 
 ターシャ・テューダーの様な庭はあこがれなのですが、我が家は放任主義の庭です。春になると、せっせと一年草を植えて楽しんだこともありましたが、今は、95%?が、宿根草ばかりです。何もしなくても、時期が来ると芽を出し、花を咲かせてくれる手のかからないたくましい子たちばかりです。それでも数年に一度は、株分けをして、新しい命を更新していかなくてはなりません。株分けをすると、本当によく成長します。親株に絡みつく様にしていた株を切り離して別のところに植えると、最初は元気がないのですが、しばらくすると、のびのびと根を伸ばし、親株以上に大きく、すくすくと育ちます。人間の親子と同じだなぁと思います。

 
 詩人で作家であるヘルマン・ヘッセは、晩年、執筆をしている時以外は、ほとんどの時間を庭で過ごしたと言われています。本屋の園芸コーナーで「庭仕事の愉しみ」というヘッセの本に出会ったときは、驚きとともに、とても身近に感じられました。中学1年の時に私が初めて買った詩集は、ヘッセでしたから… この本にこうあります。「土と植物を相手にする仕事は、瞑想するのと同じように魂を解放させてくれるのです」と。 
実感!!