こころもよう no.18  2014.07

 作ること 伝えること 


 もの作りの仕事に携わって、30年以上の月日が流れました。 始まりは、ジュエリーデザインの仕事でした。自分のデザインした商品がデパートのウィンドウに飾られているのを見た時には胸が躍りました。デザイン室での仕事にも慣れ、色々な部門の仕事に携わり、経験を積んでゆきました。いつの頃からか、少数精鋭の会社の方針で企画からコストまでの一貫した流れを把握しているデザイナーに展示会での接客という地方での出張の仕事が多くなってゆきました。その分、通常の仕事が滞り、残業で仕事をこなす日々が続きました。美しい宝石への感動も次第に薄れ、なくても暮らせる物を作っていくことや虚構の世界(と、その頃は思っていた)に次第に疑問を感じる様になってゆきました。アパレル業界と同様、年に何回かのコレクションの企画や展示会ごとに新しいデザインを起こしていくことに追われ、定番で長く使えるものを作ることはあまりありませんでした。

  作ることが好きで、ただそれだけで飛びこんだ世界でしたが、その時、初めて「作るとは?」「デザインとは?」ということ真剣に向き合わざるをえなくなっていました。気持ちはあって、毎日手を動かしてはいたのですが、頭で仕事の意味をしっかりと考えていなかったのですね。色々な分野の方に相談し、デザインや工芸の本を片端から読み、時間を見つけては展覧会や講演会に出かけました。そして、素材として対極にあると思われた木という素材や、手仕事で小さく仕事をすることへの関心が高まって行きました。肉体的にも、精神的にも行き詰まり、3年ほどで退社し、フリーとなりました。

 退社してすぐに飛び込んだのが、伝統工芸の彫金の世界でした。いつも伝統工芸展で憧れを持って見つめていた作家のもとで技術を学べることになり、夢の様でした。嘱託でデザインの仕事を受けたり、個人のお客様からのリフォームや注文の仕事をしながら、伝統工芸の世界に引き込まれていきました。今でも、細々ではありますが、続けています。


そして、月日が流れ、スタジオKUKUを立ち上げることになりました。谷の手伝いということで、始まった仕事でした。何をどう作ったらいいのか、売ったらいいのか、暗中模索の日々の中で心に決めたことが3つありました。これまで谷工房が培ってきた丁寧なもの作りを大事にしたいということ。使い手が永く大切に使いたいと思って頂けるものを作ってゆきたいということ。そして、私が手を動かす木工の制作作業は行わないということ。教わりながら制作の補助をするという方向もありましたが、私が手を動かすのは、木ではないという気持ちがどこかにありました。その代わり、木工制作以外のことは、企画から、使い手に届くまでのすべてやろうと思いました。プロデュースの仕事ですね。 ということで再び、物作りに向き合うこととなりました。


 今度は、思い悩んでも、途中でスルーはできません。初めて、作ることに真剣に向き合った若き頃より20年を越えた時間が流れていました。その頃とは、物づくりの世界も大きく様変わりしていました。しかし、悩み、疑問符だらけだった点が、年を重ねて色々なことを体験してきたことで、線につながり始めていました。 始めは柾目と板目の違いも分かりませんでしたが、技術のこと、材料のこと、部品のこと、分からないことは、その都度勉強しました。まだまだ、未知のことがたくさんありますが、スタッフに助けられて、なんとか木取りに立ち会い、検品をしてお客様のもとにお届けするまでをやってゆける様になりました。

  定番として永く使い続けていけるものを中心に作って行きたいと考えましたが、これはとても大変なことでした。個人のつくり手の様に同じ人が作るのではなく、数年ごとに入れ替わるスタッフが同じクオリティーの物を手仕事で作り続けることの難しさは、想像以上でした。そのためには、サンプルの保存と制作工程の記録が不可欠でした。そして、人から人へ伝えて行かなければなりません。谷の作品は本人がすべて分かっていますので図面以外にはほとんど記録がありません。ただ、私は自分の制作に関しては、いつも気付いたこと、注意することなどをデザイン帖に記録を残していましたので、Contact Sheatという記録帖を制作の担当者がファイリングするようにしました。そしてもうひとつ大切なことは、制作を補助する治具作りです。ずっと使い続けて行く治具もあれば、担当者によって作り変えられるものもありますが、スタッフの創意工夫や力量が顕著に表れます。治具からは、先輩の様々な思いが伝わってゆきます。

 作りたいという気持ちだけでは、物は出来上がりません。想いを頭で考えて昇華し、そして手に伝えて行く。KUKUの仕事を通して私が学んだとても大切なことです。    
     次回へ続く

 2014年7月記