いのち 2006.12.10

  年を重ねるということは、それだけたくさんの出会いがあるということですが、大切ないのちとの別れも経験してゆきます。日々の暮らしの中の小さなこと、繰り返されるあたり前のことに幸せを感じられる生き方こそ大切なことであるということを教えてくれたのは、今年亡くなられた二人の死を通してでした。

 一人は、夏に88歳で逝去された社会学者の鶴見和子さんです。 とはいってもお目にかかったことがあるわけではありません。私が初めて鶴見さんをを意識したのは、5年前、生命誌研究者の中村桂子さんとのテレビでの対談番組です。確か、テーマは、「鶴見和子この人に聞きたい 生命をめぐる対話」だったように思います。
 95年に脳内出血で倒れた後、左半身不随になられてからの鶴見さんは、不自由な身体になられてから、内発的発展論を日々の生活の中で実感されたとおしゃっていました。「内発的発展論」という考え方をそのときに初めて知りました。人は、それぞれの異なる社会や自然体系を背景として生活しているので、その異なるものが異なるまま生きてゆける社会発展の仕方があるというものでした。その時に、南方熊楠の曼荼羅論を「宇宙には色々な価値があり、出会うことで矛盾したり対立したりすることもあるが、共生してゆく」というように説明していました。それに対して、中村さんがご自分の生命誌の研究を通して、人は宇宙を構成するひとつの単細胞から始まりその連鎖によって、現在生きているどんな生命体も40億年という時間を背負っているということをおっしゃっておられたように覚えています。 人は、ひとつの個であるとともに宇宙を構成する集団でもあるということなのだと思いました。
 ちょうどその頃から、地域や活性化ということに関心を持っていましたのでこの鶴見さんの内発的発展論という考え方から、その後いろいろなことを考えてゆく上でとても大きな影響を受けました。
 色々な分野の研究者との対談をまとめた「鶴見和子 対話まんだら」のシリーズ
(藤原書店発行)は、分かりやすく、鶴見さんの想いが伝わってきてお薦めです。
又、脳梗塞で倒れられた免疫学者多田富雄氏との往復書簡「邂逅lという本からは「生きる」ということを考えさせられます。
 

 もうひとつは、子どもの同級生の18歳という若いいのちとのお別れです。
先日、東京でSさんのお別れの会がありました。先天性の脳の静動脈の奇形が原因となった脳出血で亡くなられました。 高校の同級生や父母によって実行委員会が作られ、素晴らしいお別れの会が行われ、たくさんの方が出席されました。
 いつも前向きで、何事にも真摯に物事に向き合い、才能も豊かな感性も持ち合わせたお嬢さんでした。 同級生の父母の一人として、将来がとても楽しみで、これからそっと見守ってゆきたいと思っていました。
 その彼女が、なんと、中学生のときから探求していたのが、個と社会という集団の関係であったということを、知りました。 そして、大学に入ってさらにテーマを模索しながら、研究を深めてゆくところだったそうです。これまでの素晴らしい研究結果が、会場にたくさん展示されていました。とてもこの年齢の方の研究とは思えないほどの深い考察と情熱に満ち溢れていました。 なんと深く濃い人生だったのでしょうか。  
 もし、これからも健康で研究を深めて行けたら、きっと鶴見さんのような素晴らしい研究をされ、また、緒方貞子さんのように人類のために活動をしていたのではないかと思われました。 もしかしたら、鶴見さんと天国で語り合っているかもしれません…。
 子どもを通してですが、、このような一人の女性の生き方に触れ、同じ時間を過せたことは、とても幸せなことだと思いました。

 環境も年齢もまったく異なるお二人の生き方から感じたことは、「みんな違ってみんないい」というみすずさんの詩のように、それぞれが違うことを認め合い、異なるまま生きてゆける世の中であれば、いじめや争いはなくなるだろうということです。そのためにまずは、小さな一歩を踏み出すことが大切なのかもしれません。彼女たちが撒いた小さな種を今を生きている私たちが大切に育てて行きたいものです。

     心よりお二人のご冥福をお祈りいたします。