余白   2007.05.08

  
 若い頃からこれまでの暮らしの中でずっと心にかかっていることが、”余白”ということです。
特に最近、色々なことを通して改めて考えさせられています。
 
余白の奥行き
 「住む」No.7(2003年)に掲載されている赤木明登氏の文章に出会ったのが、「住む」を購読するきっかけとなりました。 「静かな午後」という章には、付箋を貼り、マーカーで線が引いてあります。KUKUの仕事を始めた頃で、どう展開していこうか思案にくれていた頃でした。

 その赤木さんの文章から
「どんなにすばらしいとされている器だって、それがどのような場所にどう置かれているか、どう使われているかによって、美しくも醜くもなる。その場合の空間とは、物と物との関係性、物と人との関係性のことだ。……大切なのは、器にとってはその内側と外側、両方の空間であり、文字にとっては余白の部分なのだ。……」
この文章が心にずしんと落ちました。 これからどうしたらよいのか、ぼんやりとではありますが、方向性が見えたような気がしました。

利休鼠
 前述の文章の中で、赤木さんは「侘び、寂び」についても触れています。この「侘び、寂び」というと千利休ですね。 20代の後半、ジュエリーデザインの仕事をしていた頃のことですが、あまりに仕事が忙しく、疲れてしまい、なんとなくジュエリーというものが虚飾の世界のように思えていました。自分の仕事の意味のようなものがわからなくなっていて、答えを見つけるために工芸・芸術の色々なことを知りたいと思い、自分なりに勉強をしていました。
 そんな時、オムニバス形式の建築家の講演会に参加しましたが、先日話題になられた黒川紀章氏の演題が「利休鼠」だったのです。詳しい内容は覚えていませんが、江戸時代に「粋」な旦那衆の好んだ色が利休が好んだといわれる「利休鼠」で、この色の意味することを建築や江戸の文化について述べられ、興味深い講演だったことを覚えています。
 
この時、初めて「利休鼠」という色のあることを知りました。緑ががかったグレーとでも言ったらよいでしょうか?曖昧ではあるけれど、端正な品の良い色ですね。この色は、はっきりと主張するような色合いではありませんが、隣に何を置いても違和感のない調和する色のようです。道具そのものの格や質よりも、もてなす客に対する亭主の心入れを大切にした利休の茶道に通じるようです。見えるものよりも見えないところ、見ることは出来ない心と心の交流を可能にした利休の茶道や生き方からは、多くのことを学ぶことが出来ます。

李禹煥(リ・ウファン)「余白の芸術」展
 2005年に横浜美術館で開かれた韓国で活躍する彫刻家・画家の展覧会。外の世界をすばらしい感性で絵画や彫刻という内なる世界に取り入れようとしている作品がものすごい勢いで観ている者に伝わってきました。野外に展示された彫刻は、枯山水の様でもありました。とても印象に残っている展覧会です。
 
 李氏の言葉から
 「複雑な現実に近づきたい人は多くの色の配合を、厳密な観念を表したい人は明確な淡色を好む。
  私の発想に中間者的なところがあるせいか、用いる色が次第に曖昧なものに限定され、グレーのバリエーション
  が多くなった。
  グレーのわずかなタッチを施すと、画面がどこか陰影を伴い漠とした明るさに満ちる。
  グレーは自己主張が弱く概念性に欠けてはいるが、限りない含みと暗示性に富んで、現実と観念を共に浄化して
  くれるのである。」

 「余白とは、空白のことではなく、行為と物と空間が鮮やかに響き渡る開かれた力の場だ。それは作ることと作らざ
  るものがせめぎあい、変化と暗示に富む一種の矛盾の世界といえる。  だから余白は対象物や言葉を越えて、人を沈黙に導き無限を呼吸さ    せる。」

 日本で哲学を学んだだけあって、言葉のひとつひとつが深く、心に響きます。

魂の抜け道
 「魂の布」(松本路子著 淡交社)というアジアの12人の女性染織家達について書かれた本が出ました。布が大好きな私にとっては、とても魅力的な本で、好きな作家さんたちが特集されています。その中で著者は沖縄の布に関して、染織家志村ふくみの「魂の抜け道」ということばに触れていました。織の仕事の中で、どこか一箇所に ”魂の抜け道…魂を自在に遊ばせる軽やかさ、永遠の未完?”を残しておくということだそうです。

 志村ふくみさんは、人間国宝になられてずいぶんと月日が過ぎましたが、作品からはいつも若々しさが感じられます。20年くらい前に「一色一生」を読んでから、仕事や生き方にとても惹かれています。染織の仕事ばかりか、お話も文章もすばらしく、その博識には感服します。
 
この「魂の抜け道」という言葉は、着物という身に着けるものを制作するにあたって、身につける人の人となりが入っていける余地のようなものにもとれるかなとおもいました。志村さんの作品は、緻密でいくつもの色が入り混じって色を構成していて、品がよくとても完成度の高いものですが、難しい技術や作者の想いのようなものが前面に出ているわけではなく、見る者に共感や感情移入をさせてくれる余白があるからかも知れません。


 若い頃から年を重ねた現在まで、一貫して、でも漠然と心の中で考えていたことが、「余白」という概念でつながっていました。点と点がつながって線になり、そしてその線がどんな形を構成してゆくのでしょうか?